カテゴリ:RC( 7 )

That's it





Some parts reminds me good old days....

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by lasvegasmasa | 2010-03-11 22:42 | RC

シェイクダウン

あれからもう15年近くの歳月が経っているのか。少しづつ記憶が薄れていくのも仕方のないことだな、でも薄れて、薄れてなくなってしまう前に、この物語は箱に入れてしまっておこう。。


取締役がフォーミュラーカーのシェイクダウンをする。そんなところがH社のいいところかもしれない。80年代に始まった第二期F-1、当時Sという男がエンジンサプライヤーであるH社の総監督としてメディアによくその姿を見せていたことはH社ファンなら記憶にあることだと思う。彼はその豪快な性格から数々の伝説を持っているけれども、ある意味H社を体現したいるような存在だった。その後、SはH社を去り、後任にはGというエンジンの燃焼を研究するエミッション関係を専門にしていたエンジニアが抜擢された。GはSとは対極にいるような存在で、小柄なことも手伝ってか随分地味な印象の男であった。
取締役Hはどちらのタイプかというと、S監督を彷彿とさせる人物であり、テストドライバーの経験を持つ彼は、U市郊外の公道を200キロ近くのスピードで運転しているという噂も納得できるほどの男であった。

U市郊外に広大な研究所を構えるH社は、その隣に量産車をテストするためのテストコースを備えていた。全長2キロのオーバルコース、その内側には旅客機も着陸できる総合コースと呼ばれる巨大な直線コース、山道のようなワインディング、ヨーロッパの道路を模したベルジャン、悪路など、多岐に渡るコースが存在していた。その中に、2車線くらいの幅員のある直線だけのコースが存在し、RC1Xのシェイクダウンはそこで行われることになった。

研究所内でもその存在が極秘であったこのプロジェクトは、試作車の移動にも細心の注意が必要だった。カウルと呼ばれる外側のボディを外し、ブルーのシートで車全体を覆った上で、テストコースの管理官と連絡を取りながら超機密車用の入り口から運び入れる必要があった。もちろん、エンジンなどかければどんな研究員でもその存在に気づいてしまうことから、自走はせずに軽トラックで牽引しながらの運搬だった。


ミッションの入手に想像以上に手間取っていたこのプロジェクトでは、それに関わるメンバーたちもいったいいつになったらシェイクダウンができるのかと皆、焦りを感じ始めていた。それだけに、3速までしか入らない不完全なものでも、この瞬間をメンバーの誰もが心待ちにしていた。

まず、最初にコックピットに乗り込んだのはプロジェクトリーダーのT。シートは大柄な取締役Hに合わせて成形されているために、小柄なTは背中にクッションを入れる必要があった。5点式のシートベルトを嵌め、そしてハンドルを取り付ける。フォーミュラーカーにはもちろんドアはないのだが、レギュレーションに沿った範囲内で車体の剛性を最大限まで高める設計をしているので、コックピットに乗り込む開口部も狭くハンドルはそこへ乗り込む際には脱着する必要があるのである。

騒音を抑えるためにマフラーを装着したRC1X。そのマフラー装着の状態でも研究所の端までそのエンジン音は響き渡る。車体後部へスターターを差込み、そのスイッチを入れる。キュルキュルというモーター音が聞こえるのは最初だけで、V12が目覚めた瞬間にその爆音ですべての音はその存在を失ってしまう。Tがアクセルを煽ると、エンジン上部に突き出た12本のラッパの中の蓋が回転し、空気を吸い込む。そして、その動きに連動して爆音は大きく、そして小さくなる。


そして、、しばらくの暖気運転の後。その時は来た。

蒼いヘルメットのシールドを下げ、Tはハンドルの後ろについている
パドルを手前に引いた。




あっけないほど、静かに、スルスルと真っ黒なボディは移動し始めた。。
そして、、Tは一呼吸の後、ゆっくりとアクセルを踏み込んでいった。
V12はその瞬間に甲高い金属のシンフォニーを奏で、
黒いウイングはどんどん小さくなった。

1速から、2速、、、そして3速。

そのサウンドがメンバーに状況を伝える。
彼らの誰もが同じ感動に包まれていたに違いない。

やった、、俺たちのシャシがついに動き出した。。。



そして、シフトダウン。3速,2速,1速。。。直線路の反対側で向きを変えて、そしてこちらへ戻ってくる。エンジン音は再び大きくなり、地を這うような黒いシャシが近づいてきた。それまで何度となく見てきた車体だが、その走る勇姿はこれまで誰も目にしたことはなく、あらためてその美しさに心を奪われる思いだった。
この日は、その壊れやすいミッションのためにパワーは半分ほどしか出しておらず、車体の仕上がりを確認するに留まった。それでも、ドライブしたTによれば他のフォーミューラー、F3000などと比べても随分乗り心地がよいとのことであった。


さて、Hの登場である。白いレーシングスーツを決めた彼はさながらF1パイロットだ。いつもクールな面持ちの彼は、彼の体に合わせて作られたシートに座った瞬間、満面の笑みを浮かべたのであろうが、ヘルメットに隠された表情は誰もわからなかった。
スターターが回され、再びV12が始動し始める。そして、何度かレーシングをした後、Hはシフトパドルを引いた。

その瞬間、、

ふっとV12はその鼓動を止めた。。。
メンバーは皆、ニヤリと笑い、顔を見合わせた。。。
Hさんでも、、やるんですね。。エンスト。


90年の鈴鹿だっただろうか。日本GPで中嶋選手がスタート時にエンストしたことがあった。鈴鹿のストレートは第一コーナーに向かって下りになっているから、車体はブレーキのリリースと共に動き出し、再びエンジンを復活させることが出来たというアクシデントがあった。
レーシングエンジンは繊細で、そのクラッチワークはほんとにシビアである。中嶋選手の場合はクラッチワークの失敗ではないけれども、プロでもエンストしないことはないということだ。


ご愛嬌ということで、再びエンジンを始動させ、今度は無事にコースインを行うことが出来たHは、ホイルスピンをさせながら走り始めた。実はメンバーは少しばかり不安で、、それは、豪快なドライブをするHがエンジンを回し過ぎて貴重なミッションを壊してしまわないかということだった。

どうやら、順調にシフトは上がって行き、そしてU-ターンをしているようだった。エンジン音は再び大きくなって、RC1Xはメンバーたちの元へ近づいてきた。そして、シフトダウンし、次のストレートに向けて、Hはステアリングを切った。

その瞬間、、、だった。
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by lasvegasmasa | 2005-11-28 04:49 | RC

V12

細々と続けているネタです。
久しぶりに書いてみたい気になったので、ちょっと綴って見ますね。

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あの頃のF-1はまだV12が全盛期で、ルノーの調子の良さから次第にV10へ移行していく、、そんな時代だった。RCが手に入れたV12はその過渡期に何機も作られたうちの一つだった。極秘プロジェクトだったチームの開発ルームは研究所の一等地からレース専門に立てられたプレハブ(といってもそんなにちゃちなものではないが)に移っていて、そこでシャシーの組み立てやエンジン調整などを行っていた。
V12のレーシングエンジンから発生する音は想像を超えるボリュームであり、巨大なサイレンサーを取り付けなければ研究所中に響き渡ってしまうほどのものだった。それでも、一度エンジンを稼動すると空気が振るえ、自分の眼球も震えてしまってまるで水中にいるような視界になるのだった。

公道で甲高いサウンドを奏でているフェラーリ、、、当時テスタロッサと呼ばれる幅広い車体のV12フェラーリをよく東名で見かけたけれども、用賀料金所からのスタートダッシュで聞かせてくれる彼らのサウンドはすごく心地の良いものだったと記憶している。。

しかし、目の前で聞くV12,それもH社のレーシングエンジンのサウンドは比べ物にならないほど官能的だった。ディフューザーから不恰好に飛び出した2本のサイレンサーから飛び出してくる爆音は空気を振るわせるだけでなく、そこにいるスタッフの髪の毛の一本一本を震わせ、彼らの体内に流れる血液も振動させる。そんな巨大な圧力でありながら甲高い金属音も溶け込んでいて、一度体験したら2度と忘れない感覚を聴覚だけでなく五感すべてに焼き付けるのだった。
高回転まで吹け揚がるV12ならではのサウンドはその存在感において何物にも変えがたいものであると言える。

RCエピソードのひとつにこのエンジン始動に使うスターターの逸話がある。何でも自分たちで開発していた彼らはスターターも設計、自作する必要があった。スターターというのは、量産車のようなエンジンを自分で始動させるセルモーターを持たないレーシングカーは外部からエンジンをまわしてやる必要があり、そのセルの役割をするのがスターターと呼ばれる道具なのである。
そのスターターを担当したデザイナーのMは当時量産車の内装設計をしていて、ギア付のメカ、など設計した経験はまったくなかった。見よう見まねで設計したスターターは巨大な力で始動するV12の力に耐えられず始動するたびに壊れ、何度も何度も作り直さなくてはならなかった。いつしかMはミスタースターターという輝かしいニックネームをつけられ、飲み会のネタには必ず登場することになったのだった。



*****
さて、3速までしか使えないミッションの搭載であったがエンジン調整も何とか終えたRC1Xはいよいよ研究所のテストコースでファーストランを行うことになった。ドライバーはプロジェクトリーダーのTであったが、このプロジェクトの統括をしている取締役のHもしっかりとレーシングスーツを着込んでシェイクダウンを待っていたのだった。
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by lasvegasmasa | 2005-05-22 06:05 | RC

トランスミッション RC 第4話

久しぶりにこの話に触れてみたいと思います。


RCチームの最大の悩みはトランスミッションだった。そのころ2つのチームにレーシングエンジンを供給していたH社の研究室にはそれこそ”掃いて捨てるほど”のエンジンがあり、翌年からはそれまで主流であったV12からV10へ移行することもあって、エンジンの入手はそれほど難しいことではなかった。しかし、H社はミッションは作っていなかった。いや作っていなかったという表現は正しくない。F1の世界においてミッションはコンストラクターが作るあるいは購入するものであって、エンジンサプライヤーであるH社にはミッション製作の責任は事実上なかったのである。つまり、その部分には触れさせてもらえなかったのだった。
ただ、その年くらいから始まったオートマチックトランスミッション化はH社にとっても研究課題の一つであり、独自の方法でこのオートマチックを開発していたのだった。このオートマチックといのはドライバーの操作性の向上やスタートでのミスを最大限に減らすという目的で当時不振だったF社が始めてF1シャシに採用したわけであるが、その目論見は見事に達成されたために、当時の競合メーカーは次々とミッションのオートマチック化を目指すことになっていった。

このフォーミュラーカーのオートマチックというのはハンドルの後ろについているパドルと呼ばれるレバーを操作し、クラッチ操作をすることなく運転をするというものであることはご存知の通りである。当時は夢にもおもわなかったが、今では世間の常識となっていて、市販の自動車にもついているからやはりレースのフィードバックという言葉は最大のセールストークなのだと思う。


ところで、余談であるが、プロのドライバーなのになぜスタートってミスるの?

と思うことがあるようだ。初心者ドライバーがクラッチの繋ぎを失敗してエンストを起こしたりするけれども、それと同じようなことをしてしまうのかというと、、それとは同じようだが少し違う。
レーシングエンジンがあまりにもシビアであるためにエンジンの動きそのものが不安定なだけでなく、この特別なエンジンは回転の立ち上がりが早いだけに、また回転が落ちるのも早い。その上低い回転ではトルクというエンジンの回転する力も低い、しかし、強力な力を伝達するクラッチは強力であり繋いだ瞬間にある程度の力をエンジン側に要求する。かといって、エンジン全開でクラッチを繋げば、その場でクラッチは寿命を終えてしまう。要するにエンジンの回転とクラッチ操作には、想像以上のシビアさが要求されていて、とても難しいものであるということだ。

実は一度だけフォーミュラーカーをドライブしたことがある。もちろんF1ではない。当時日本で選手権の行われていたF3000というカテゴリーのクルマだった。シャシはたしかローラでエンジンは無限のV8だった。運転前にクラッチの繋ぎ方についてレクチャーを受けたけれども案の定一発では発進できなかった。2度目の挑戦でなんとかスルスルと動き出すことはできたけれども、レースのようなロケットスタートなんて素人には到底ムリであるという印象をうけたものだ。

話を元に戻そう。H社のオートマチックはまだまだ開発段階であり、同じ社内であるとはいえ極秘で動いている小さなプロジェクトへは簡単に持ってこれる代物ではなかった。それでも、チーフエンジニアのTは根気良く交渉を続けたり、このプロジェクトの総責任者である取締役のHに頼んだりしてなんとか試作ミッションのうちの一つを手に入れることが出来た。
ところが、このミッション、開発元でも実験中に壊れまくり実際には6速ある中で3速しか使い物にはならなかった。。。

それでも、やっと手に入れたミッションである。その頃にはすでに1Xと呼ばれる車体は完成しており、後はミッションを待つのみとなっていた。
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by lasvegasmasa | 2005-01-09 14:56 | RC

レイアウト2 RC 第3話

さて、AM95のダミーをシートに座らせ、レギュレーションを考慮したレイアウト。
このシャシーは随分他のチームに比べて大きな物になっていた。

そのころ、フォーミュラー1のシャシを研究するのに重宝したものがある。
うそみたいなホントの話だが、田宮のプラモデルがそれなのである。
1/12だったか1/20だったかは覚えていないが、チーム員のひとりが
M社のとL社のを買って来て組み立てていた。

試しに、出来上がったレイアウトの1/20モデルをペーパーで作り
プラモデルと比べてみた。。。。
ちょっとでかすぎ。。。だった。
ドライバーの身長が問題なのか、レギュレーションの解釈が問題なのか?

あまりにも大きさが違うということになり、レイアウトは修正されることになった。。

プラモデルを参考に開発ってのはあんまりだと思ったのであろう、
修正されたレイアウトが出来上がる頃には
プロジェクトリーダーのTがどこからか
本物のシャーシを手に入れてきた。

89年のM社、L社、W社のシャーシが開発ルームに勢ぞろいしていた。
エンジニアの目から見た一番の出来のよさはW社のものであった。
細かな部分の仕上がりのよさと計算されたボディ形状はW社のレベルの高さを感じさせた。

一方、M社のシャシは当時フロントサスペンションのダンパーレイアウトを独自の方式を取っており、その出来ははっきり言ってクエスチョン?尚且つ、ドライバーの乗り込む開口部も広く、ボディ剛性はかなり低かったと思われる。当時のM社の快進撃ははっきり言ってHのエンジンと有能なドライバーによるところが大きいと思われる。

さて、私と同じ三河人F1ドライバーのN氏のマシンもじっくり見させてもらった。
はっきりってダメなシャシであり、N氏やブラジル生まれのNの功績は大きいと思われる。他社のボディが高度な接着技術で作られているのに対して、L社のマシンはリベットが無数に使われていて、やはり結果としてボディ剛性は相当に低かったと推測される。

今だから話しても良いと思うが、当時これらのシャシは決して分解したり、傷つけたりしないことという約束の元にTが調達した物であったが、どうしてもボディを作っている材料が知りたかったエンジニアSは、内緒でボディの一部を切り取り、中身を調べた後こっそりと直しておいた。その直し方は完璧であったので、その後誰も気づいた者はいない。。。

M、Lとも低いボディ剛性を持っていた訳だが、ボディ剛性の低さはサスペンション調整の難しさに繋がり、調整が出来なければドライバーの手腕に勝負がかかって来る。尤も、当時他社に比べ圧倒的なパワーを持っていた(1200馬力くらいあった)Hのエンジンを搭載していれば多少コーナーが遅くても度胸さえあれば直線勝負で何とでもなったともいえる。

そんな他社の車体を睨みつつ、RC1号車のシャシ設計は進められていった。。。
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by lasvegasmasa | 2004-08-08 07:43 | RC

レイアウト RC 第2話 

秘密の部屋ではあったが、そこにはそれらしいものはまだ何もなかった。
メンバーのデスクと設計のためのワークステーション、
そして、ミーティングのためのテーブル。

10人で使うにはあまりにも広い部屋。
そしてその片隅でメンバーたちは何をするべきなのかを思案していた。

資料はテストグループでチーフエンジニアを務める"駄洒落好きのK"が
数ヶ月の間F-1サーカスと呼ばれる欧州のレースラウンドに同行し作成したレポート、そしてFIA(レースをマネージメントしている機関)の発行するレギュレーションブック。
ただそれだけであった。

プロジェクトリーダーのTはその難解な英文で綴られたレギュレーションブックを毎日眺め続け、少しづつ自分の頭の中に車体のイメージを作り上げていった。Tのデスクの横にはA0サイズと呼ばれる大きなドラフターがあり、そこが彼の本当の仕事場だった。

当時すでに設計のためのワークステーションの導入率は100%であり、CADAMと呼ばれる黎明期の2D-CAD、つまり、コンピューターによる手描きではない単なる2次元図面の時代は終わり、CATIAと呼ばれる3Dによる設計が主流となりつつあった。

それでも職人気質のTはドラフターを手放さず、RCルームに運び込んでいたのだった。

量産車の設計セオリーとして、まずはじめにドライバーの体型を考える。人の形をした模型を車体のなかに座らせ、ハンドルやアクセル、ブレーキなどのペダル位置、シートなどのレイアウトを決めていく。その時に使うモデルは通常AM95と呼ばれる男性の体型なのだが、このAM95とは、アメリカ人男性の95%を網羅する体型を意味する。記憶が定かではないが確か身長185くらいのモデルだったと思う。

さて、RCは量産車ではない。でもドライバーのことは考える必要がある。。。

実は、当時のフォーミュラー1ドライバー達にはそれほど大柄な人はいなかった。ただし、H社と提携していたM社のドライバーMr.Gの身長は180近くであり、これはグループにとって一つの悲劇であったといえる。もちろん、この時点においてGがRCをドライブする予定などなかったが、GとH社は友好な関係にあり、彼がテストドライブを行うことも視野に入れた設計が必要だったからだ。

余談だが、当時のGとAというスタードライバーが日本国内の中部地方にあるサーキットで新型エンジンのシェイクダウンを行った時の面白い(エンジニアとしては)エピソードがある。

エンジンテストの際にはデータロガーというエンジンの色々な挙動やドライバーの操作状況を記録する装置をつけているのだが、この記録にはドライバーのアクセル開度(アクセルをどれくらい踏んでいるか)を示すグラフも含まれている。このアクセルの踏み具合がドライバーによって極端に違うのである。

Aはもう二度と現れることのないであろうと呼ばれた天才ドライバーであり、10年ほど前に不遇の事故にあって既に他界している。日本でも大きな人気があり、そのドライビングテクニックにおいて”S足”と実況アナウンサーが名づけたアクセル操作術を持っていた。

Gは現在もアドバイザーとしてWというチームと関わっているが、現役時のドライビングは豪快の一言につきる。マシンのパワーをねじ伏せながらコーナーを立ち上がっていくドライビングスタイルは多くの観客を魅了したものであった。

この2人の違い。

データは如実に表している。
細かなアクセル操作はグラフ上では複数の山になって現れる。Aのグラフはコーナー付近において複数の山を作り、車体は安定し、そして他にはまねの出来ない高速でラップを重ねていく。それに比べてGのグラフは矩形波に近い。つまり、直線ではアクセル全開、コーナーではハーフスロットル、コーナー抜けたらまた全開。。。当然コーナーの立ち上がりでアクセルを踏み込めば車体は暴れる。それを強引に操作して次のコーナーに向かう。。。何と言うか、やはり豪快としか表現できない。。。

繊細なドライブのA
単細胞なON・OFFドライブのG

残念ながらこの二人とは会う機会もなかったが、繊細なAと陽気なGは性格どおりのドライビングをすることがデータからも読み取れるところが当時エンジニア達のトピックスとして語られていた。私自身、Aのことをとても尊敬していたが、Gのドライビングスタイルのほうが興味があった。

余談が長くなりすぎたので、、、第3話につづく。。。
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by lasvegasmasa | 2004-08-02 03:37 | RC

はじまり RC 第一話

1990年。

Hと言うメーカーはフォーミュラー1という自動車レースにおいてエンジンサプライヤーというカテゴリーに属していた。単なるエンジンサプライヤーとはいえ、そのH社のエンジンはすばらしく、当時2つのチームにエンジンを供給していたがその2チームで年間に行われるレース16戦のうち15勝という金字塔を打ちたてていた。

H社は有名な自動車会社であり、もちろんエンジンのみを作っているわけではなかった。

フォーミュラー1の世界はまさに白人貴族貴族達の世界であり、一見華やかに見えるF-1サーカスは排他的な面を多く持っていた。H社はエンジンサプライヤーではあったけれども、それ以上にこのフォーミュラー1の世界に入り込むことを狙っていた。それが創業者の夢でもあったからだ。しかし、彼らのパートナーはその恩恵を十分にうけているにもかかわらず、H社がエンジン以外のことに関心を示すことについて大きな嫌悪感を示していた。

ブラジル生まれの稀有な才能を持つドライバーとオーストリア生まれの陽気で女好きなドライバーを抱えるMというチームは当時H社とは密接な関係があり、この世界で勝つためにはH社のエンジンが必要不可欠であったはずだ。それでも、彼らはシャシの開発を行うプロセスにおいてはH社を蚊帳の外に置いてしまった。

そんな状況の中、ひとつのプロジェクトがH社の中で密かに始まった。

プロジェクトコードは RC

10人足らずのエンジニアがある日其々の部署から集められた。
プロジェクトの目的は

3年後にはフォーミュラー1に参戦できるシャシを作り上げること。

ただそれだけであった。

北関東にあるH社の研究所の真ん中にある秘密の部屋。
社内でもその存在を知るものは殆どいなかった。。。

プロジェクトリーダーのTは
当時H社が鳴り物入りで世に送り出したスポーツカーをつくりあげた男であり
日本、いや世界でも数少ないフォーミュラーを操作できるエンジニアであった。

しかし、そんなTでさえもフォーミュラー1はまったくの未経験。
そして、情報は限られまるで暗闇の中を手探りするような状況で
このプロジェクトはスタートしたのであった。。。
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by lasvegasmasa | 2004-08-01 09:56 | RC